俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

ゴトウゆうぞうと、裏寺百練の広報担当。

少し前に発売になった、ゴトウゆうぞうのレコードの
チラシに書かせてもらった文章です。
チラシの文字が小さすぎたので掲載させてもらいました。



あの人は何ていう生き物なんでしょう。

 大人になったらなんでも好きなことができると思っていた。駄菓子屋でおばあちゃんが焼いている一枚二十円ほどのお好み焼きに玉子を三つ入れることもできるし二枚目を注文することも出来ると思っていた。
 晩ご飯を食べてテレビを見てから勉強していると窓からラーメン屋のラッパ、いわゆるチャルメラが聞こえてきて悶えるほど食べたいけれどそれはおかあちゃんから許されないもどかしさ。
 お年玉をがんばって貯めて、ひとりで新幹線に乗りテレビ局へ行くことを親父が許さなかった時は、ナイトクラブでハワイアンを歌っていた親父が何を言うても聞かないイロモノの芸人さんに見えた。
 大人になったらなんでもできると思って生きてきた俺はその時に大人のつまらなさを子供ながらに感じた。
 ゴトウゆうぞうはどうだったんだろう。
 そう思わずにいられないのは、彼が歌っているときもカリンバを見つめながら親指を動かしているときもギターのチューニングをしているときにも見えるそれは、大人とか子供とかというはしたないというか幼稚なスタンスではなく、そこにファンタジーそのものがあるからだ。
 今流行りのゆるキャラそのものがあるというべきか。いや想像の世界の仏や天使やヒロヒロ菌や森のキノコの妖精というべきか。ゴトウゆうぞうとはなんなんだろう。
 あーあれは30年前に近畿放送の敷地内のレストランのオープニングで当時の最先端の才能が集結したようなバンドのライブがあってその時にゴトウゆうぞうがパーカッションを担当していた。ハワイアンの親父もそのステージにいた。あれはなんだったんだろう。
 ほんとに脱線しましたが、京都は裏寺で「百練」という食堂の広報をさせてもらっているものとして一言述べます。
 どんなことも、遠い昔はたまた遙かな異国のどこかで誰かがそれを歌にして歌ってくれている。ゴトウゆうぞうショーを裏寺・百練で何度も何度も体感してそれを知ることが出来ました。誰かが歌にしてくれているから助かってきました。

 「ゴトウゆうぞう」てなんなんだろう。 バッキー・イノウエ