もともと文章を書く人ではなく昔のアメリカの広告代理店風に言えばコピー担当ではなくアートディレクション担当だった俺がこうしていろんな雑誌や新聞にコラムを連載したり文章を書かせてもらうようになったのはこのミーツリージョナルのおかげだと思う。 …
30代の半ばになってからはいつもギムレットを飲んでいた。でもこうしてチョット振り返ると条件が揃わないと飲んでいなかったように思う。夏でも冬でも飲んでいたが遅い時間には飲まなかった。ギムレットを頼めるのは昼下がりか宵の口だけだ。遅がけの酒場…
今日のA級順位戦の夕食休憩の出前状況。俺も出前とりたなってきたわ、ほんま。佐藤康光九段ー広瀬八段戦18時10分、ここで佐藤天彦が46分使って夕食休憩に入った。消費時間は☗広瀬2時間50分、☖佐藤3時間59分(持ち時間は各6時間)。広瀬の夕食注文は、う…
ここ数年で京都も外国の旅行者が滅茶苦茶増えた。大阪でも東京でもものすごい勢いで増えているのだと思うけど、京都は街が小さくあらゆるものが密集しているところなので外国の人が多くなると街角の風景が一変する感じがする。特に俺が働いている錦市場は道…
見知らぬ人の歌を聞いている俺は、遠いところまで来てしまったのか。 雑居ビルの中の薄暗い小さい店で何のご縁もない方の歌を聞いている自分がいて、目に前のグラスの酒に頓着することもなく歌の歌詞だけを追い続けている俺がいる。 酒も歌もあまりすすめる…
編集者からスナックの特集をやろうと思っていますと聞いた時に、な んで今頃スナックなんだろうと正直思った。街の特集の中のイロモノ的な感じで 2、3ページ紹介するならわかるが丸ごとの特集ってどうなんだろうと考えた。 しかもこのメンズ・ハナコという…
こないだ大西ユカリがパーソナリティーをしているFMの番組の中で矢沢永吉のインタビューをしていた。普段はFMではなくAMを聞くことが多いがあらかじめそれを知っていたのでスピーカーに向かって正座するかのようにジッと聞いた。 大西ユカリはもちろん…
「あんたは京都のいろんな店のことをよー知ってはんにゃろ」とよく言われるが実は最近の店というかここ十年くらいに出来た店のことはほとんど知らない。 一応、街で仕事をしているので近所の人やお客様とのお付き合いで食事に行くこともあるし仲間と居酒屋に…
始まった瞬間しか残らない。午後のギムレット。 30代の半ばになってからはいつもギムレットを飲んでいた。でもこうしてチョット振り返ると条件が揃わないと飲んでいなかったように思う。夏でも冬でも飲んでいたが遅い時間には飲まなかった。ギムレットを頼…
私もマイボーイのひとりである。 私が初めてこの歌を聴いたのは14歳の時だった。たいへんよくませていた私は小学生の頃からシャボン玉ホリデーや夜のヒットスタジオの世界に憧れ、映画も大人の雑誌も漫画もプロ野球もプロレスもボクシングもひととおりを見聞…
腹が出るのも行きがかりじょう。 おっさんは腹が出てなあかんということに最近気がついた。気がついたというか腹が出ていた方がいいという仮説を立てて街をウロウロしていたらその仮説が正しかったと思うようになった。 だいたい中年以上になって腹が出るこ…
漬物の販売で東京や大阪や地方の都市に行くことがある。商談だけの場合もあれば百貨店の催事場で販売させてもらうこともある。その催事の場合、その日の仕事が終わってからどうするかが私の場合は懸案事項のひとつ。 催事の期間はほとんどが1週間で、業者…
ずいぶん長いあいだ鍋と道中してきた。子供の頃に好きだった鍋は湯豆腐だった。うちの湯豆腐は鍋の中に茶碗蒸しに使うお椀が置かれていてその中にダシ醤油が入っていた。その温まったダシ醤油と鰹節とネギをたくさんかけて豆腐をエンドレス食べた。すき焼き…
どこかで誰かがーー、上條恒彦の「誰かが風の中で」という歌がかかってる。なんなんだ、歌て。今度は野口五郎か。私鉄電車か。せつないな。「昔の名前で出ています」か。歌詞メロディー歌唱、最高のバランスだな。最高だ。次はチューリップの心の旅か。年代…
実は昼メシも晩メシも俺は必死で考えている。それはその日の昼メシも晩メシも食べてしもたらその枠というかシアワセな時間がなくなってしまい、二度というか次に腹が減るまで取り返しがつかないということを、子どもの頃や十代の頃からそこらじゅうの店で思…
町内という世界、銭湯という土俵。戸川万吉か。「俺がこの街に住みついたのは、あれはほんのガキの頃だったぜ」という歌いだしの歌があった。三十年以上前か。ダウンタウンブギウギバント、宇崎竜童の歌い方や声にしびれたな、あの頃。 子供の頃、街は大きか…
ビアホールの中のひとり者。 今、銀座のライオンビアホールにいる。日曜日の4時、満席。みんな連れがいる。俺は日曜日なのにスーツを着て一人でいる。しかも東京。実はこういうシチュエーションが昔から好きだった。 東京に行けばポピュラーな外資系のホテ…
子供の頃は大人になったらなんでも好きなことができると思っていた。近所の駄菓子屋の奥でおばあちゃんが焼いている一枚十五円ほどのお好み焼きに、玉子を三つ入れることもできるし、二枚目を注文することも大人になれば出来ると思っていたし、ラムネやコー…
俺は三十歳ぐらいからコーヒーを飲まないようにしていた。コーヒーが好きだったけれど酒の方が好きだからコーヒーぐらい我慢しようとした。酒と油と塩とポン酢が生き甲斐で麺類が主食の俺は煙草も不屈に吸いまくっていた。そのうえにコーヒー連呼はあまりに…
竹鶴もスーパーニッカも好きだがやっぱり俺はサントリーが好きだ。酒の味ではなく何だか好きだ。写真の洋酒天国は昭和三十年代のもの。俺が生まれた頃だ。中も外も実に洒落ている。編集長は開高健で、山口瞳が入社するかしないかの頃だ。この冊子の中に「や…
それにしても食べ物屋というか飲食店が増えた。街を歩いても電車を降りても国道に行っても静かな住宅街でも、いたるところに飲食店がある。いつから比べて増えたのか。40年前なのか、この十年で急激に増えたのか。 どちらにせよ飲食店が増えた分だけ家の…
俺は朝や昼に酒を飲みたくない。それにはいくつもの酒飲み特有のチマチマとした理由や人には説明しにくい情けないトラウマがあるのだが、最も大きな理由は、実は出来るだけ酒を飲みたくないからだ。 じゃあ飲まなければいいじゃないかと言われるかも知れない…
子供の頃はよくケガをした。膝や肘にはいつも赤黒いカサブタがあったし、指もよく切った。中学や高校に行くようになると膝や肘のカサブタどころではないもう少しきついケガをするようになった。青年になってからもバイトや仕事の種類に関係なくケガはしてい…
なぜここ数年ずっと俺がスパイやスパイ度に妙にこだわるのか。それは自分自身の劣化を自覚し始めたからなんだと思う。劣化したことを自覚をするのがV9を達成した当時の川上監督の年齢を過ぎてからなんて遅すぎるとは思うが、俺はきっと見て見ぬふりをして…
京都以外で暮らしたことがなく、子供の頃から繁華街を走りまわり若い頃から街のさまざまな店に行き始め、時代も店も変わっていく中で40年ほどやってきた俺が、二十年以上も気になりながらどうしても暖簾をくぐれなかった店がある。 二十代や三十前半の頃は…
漬物屋が言うのもどうかとは思うけれど、いつの頃からか旬というか季節を感じさせるものが街や店に出るのがどんどん早くなってきている。 9月になると松茸が話題になりテレビのCMからは暖炉の前でクリームシチュー的な映像が流れ始める。まだうちの店では…
この写真はアルペジオの床。よく見ると無数の穴というか円形のくぼみがある。これはこの店が出来てから今までハイヒールの女がここでいろいろあった形跡だと思う。とてもチャーミングだ。今年は50代に的を絞っていこう。
パリーグの男と行きがかりじょう旅団。 このコラムには随分といろんな奴が独特の名でこのコラムに登場してきた。 岸和田の泣きの編集者、ワイン10本男、キレた服屋の親父、左門豊作の弟、泣き坊主な街の先輩、木屋町のヨーダ、木屋町のハゲ軍曹、木屋町の…
なぜかホセ・カレーラスが聞こえてきました。愛の讃歌、 ダイアナロスが歌っていた恋のプレリュード、アルゼンチンの歌、ひばりさんの川の流れのようにも歌ってはります。疲れてきました。早くレコード変えないかなあ。俺はきのう飲み仲間であり、野球ではバ…
俺は珍しい血統の奴で、デザインと歌と酒を仕事にしていた男の息子だがデザインや酒はいけるが、心をデザインすることが出来ない。