俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

誰がためのギムレットなのか。

 30代の半ばになってからはいつもギムレットを飲んでいた。でもこうしてチョット振り返ると条件が揃わないと飲んでいなかったように思う。夏でも冬でも飲んでいたが遅い時間には飲まなかった。ギムレットを頼めるのは昼下がりか宵の口だけだ。遅がけの酒場ではギムレットを注文できないでいる。ギムレットはファーストショットなのだ。
 二十年ほど前だったか俺の連載コラムを担当してくれていた女性の編集者が年に一度くらいは打合せしましょうよというので、5時に中之島のリーチバーで待ち合わせをしたことがある。バーで打合せは出来ないが顔を合わせることで打合せの8割は完結するんちゃうかなあと言って電話を切ったような記憶がある。当時はほんとにそう思っていた。
 4時過ぎにリーガロイヤルホテルに着く。ホテルの玄関先では石の上の靴音。中に入ると絨毯で靴音が消え、しばらく歩くと大理石のタイルで高い音の靴音になる。そして結界を超えてリーチバーに入ると木煉の床を靴で叩くかのような靴音になる。木と革が奏でる打楽器のように響く。このバーの凄さのひとつだ。
 誰もいないカウンター。席に着く。注文するまで一拍置くのは気持ちを整理するためだ。空腹だしノドが乾いているし待ち合わせの時間まで30分以上ある。ギムレットを飲むにはお誂えの条件が揃っている。バーテンダーと視線が合ったその瞬間にギムレットをミストでお願いする。
 中之島のリーチバーでこの時間にギムレット、それだけでこれからどうなるかだいたいわかる気がするのだが想定通りにコトは運ばないし運んではつまらない。ギムレットが目の前に来る。ミスト状の氷がキラキラしている。飲む前にゴクリとなりその瞬間に飲む。きついがうまい。最初の一杯はキックがたまらない。空腹の胃のヒダが溶けているのがわかるがグッといく。グラスにはキラキラした氷だけが残る。2杯目は氷が残ったグラスを使ってもらう。やわらかくなるからだ。
3杯目を頼もうとした瞬間に編集者が入ってくるのが見えた。いつもより女らしい気がするがそこは無視しよう。「早よ着いたし先に飲んでてごめんな」といいながら、わざと何も聞かず3杯目のギムレットをおかわりすると彼女は私も同じものをと言った。
今オーダーしたものが出てくるまでに打ち合わせは完了させなければならない。まるでスパイ度を試されているようだ。彼女の目はこれから始まる何かを察知して輝いている。俺はギムレットクロスを続ける。そしていつのまにかギムレットは水のようになる。水になる酒ほどうまいものはない。遠いとこまで来てしもた。もう俺は帰りたいが自分の口からさあ次へ行こうと言っている。そして腹がペコペコである。限界がきているが涼しげにしていなければならない。きつい旅だ。
宵の口からリーチバーで始まった夜は、始まった瞬間しか残らない夜になる。必ずそうなる。そして間違いなく電車で帰れない。
ジンとライムをシェイクするとギムレットという名になるのであれば、ダークラムを水で割って間延びさせた酒に俺はプールサイドという名を付けた。そのわけを書く前にスペースがなくなった。俺はお前に弱いんだ、ただそれだけ。