俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

町内という世界、銭湯という土俵。戸川万吉か。

町内という世界、銭湯という土俵。戸川万吉か。

「俺がこの街に住みついたのは、あれはほんのガキの頃だったぜ」という歌いだしの歌があった。三十年以上前か。ダウンタウンブギウギバント、宇崎竜童の歌い方や声にしびれたな、あの頃。
 子供の頃、街は大きかった。町内だけでも世界があった。町内の中だけでもいろんな人がいたしいろんな不思議もあった。そしてわずか五十メートル向こうが隣の町、さらに見たこともないようないろんな人がいて何をしているのかよくわからないことがわずか隣の町内なのに山盛りあった。大通りの向かいは隣の小学校、もう全然違う世界だった。隣の小学校の奴がたまに俺のホームグランドの銭湯なんかに来たら英語でも話しよるんちゃうかと思うくらいだった。それほど子供の頃は町内が学区が世界だった。なんなんだろあの感覚。
 今の子供達にとっても街は大きいのか、町内という世界はあるのだろうか。本宮ひろしが描いた「男一匹ガキ大将」で綱村が現れ、土佐源が現れ、俺の好きな広島の山崎が現れるところに怖さ凄さを感じるのだろうか。
 エアコンの普及で窓や玄関がしまり町内にも人が出歩かなくなった今、携帯を握りしめて目的地以外に目をやらなくなった人が行き交う街は低血圧になっている。人にかまわないかまわれないなら目をギラギラさせて近くにきた奴の戦闘値をスカウターで分析する必要もない。今の街は様々な野獣が行き交うジャングルではなく相手が見えない深海なのか。ほんまにこわいな。
 俺は小学校の頃、最寄りの駅が七条京阪という(出たな京阪)の東山区の本町に住んでいた。京都はどこの街でもそうだが俺が住んでいた本町も職人さんが多かったように思う。手や指が固そうな大人がとても多かった。特に本町通は銭湯も多かった。三つの町内に一軒ぐらい銭湯があった。正面湯、つる湯、大黒湯。銭湯はいつも満員だった。会うのがイヤな先輩やコワイおっさんもいたけど風呂を銭湯を避けることはできなかった。しかも銭湯では裸、まる裸でイヤな先輩やコワイおっさんと向き合わなあかんかった。きついでしかし。今から思えば街の銭湯は過酷な場所だった。
 そんな街の過酷な銭湯で垢を落としてきた俺がこうして垢みたいな日々を愛しく思うのは多分必然なんだろう。

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