俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

ビアホールの中のひとり者。

ビアホールの中のひとり者。

 今、銀座のライオンビアホールにいる。日曜日の4時、満席。みんな連れがいる。俺は日曜日なのにスーツを着て一人でいる。しかも東京。実はこういうシチュエーションが昔から好きだった。
 東京に行けばポピュラーな外資系のホテルにありがちの、バンドが入る大きなフロアラウンジに行ってよく一人で飲んだ。
 はじめはシュッとして飲んでいるんだが、バンドがどうでもいいような歌を適当にプロらしく歌っているとだんだん俺はゴキゲンになる。
 見知らぬ人でいっぱいのフロア、酒が入った人達が発するの強烈な喧騒、うまくもまずくもない目の前のウイスキー、片言の日本語で挨拶をしているバンドの女性ボーカル、誰もが知ってるスタンダードナンバーと適当なコーラス、今夜は家に帰らなくていいという条件、バンドの音が酔客の声をさらに大きくして俺はどんどんひとりになっていく。
 ウイスキーは飲めば飲むほどにどんどん水臭くなり、誰かに電話したくなってはそれをしたくない夜が更けてゆく。
 そのうちにバンドが輝いて見える、ウェイターが微笑んでくれているように思う、遠い日に聞いた言葉が脳裏をよぎりまくり、その言葉が他のフレーズを連れてくる。こうなれば止まらない、まるでスーツを着た磯辺の生き物か何者かわからない「止まらないHa~Ha」である。そして通り過ぎるフレーズをキャッチするためコースターの裏に書き留めると、またそこから新たなるフレーズが音楽に乗って、喧騒に乗って、グラスの上げ下げという儀式によってやってくる。「遠いとこまで来てしもた」といつも呟くのはそんな夜だ。
 銀座のライオンビアホールでも今宵同じようなことが起きている。俺は異国からやってきているスパイを演じて飲めばいいのか。スパイは孤独な目をしてはいけない。さびしそうにしてはいけない。
 そのスパイの周りは、飲んで笑う四人掛け、語り込む二人掛け、高齢のご夫婦、同期会風の大きなテーブル、俺は欧米人のカップルと30ぐらいの男二人客に挟まれている。俺は壁際にひとり。ビールをあまり飲まない俺だがビールを飲まないといけないかなと思いビールの小を注文したが、同時にウイスキーも注文した。
 そしていつの間にかこの空間に飛び交うフレーズの収集作業に入った。そのチラシの裏にはこうある。
 “この国の消費者、いや、店をやる奴や店に来る奴、モノを作る奴やモノを買う奴のそれらのすべてのレベルが上がったというか、何でもすぐに調べられたり疑似体験することが出来たりでほぼ全員が中和というか混ざった。技術や知識や街や店を知ってる知らないでお金を得られた時代は終わった。
 だとしたら全部フラットになったのか。これはしんどい。みんな同じことを知っていてまたは容易に知ることが出来て、陰も日向もない世界。俺が子供の頃の学校は先生の指導的には全員フラットということになっていたけれど、みんな同じではなかった。お金持ちの家の子よりもモテるためには速く走るしかなかったし、カラダが大きくケンカの強い奴と同等でいるためにはチキンレースで勝つしかなかったし、ナンパな親父から授かったネタを披露することで優位に立つことも出来た。
 デコボコがあるから隠れも出来るしそれを利用すれば勝機もある。けれどもデコボコのない影すらない砂漠のようなフラットなところで生きるのはきつくなる。使えるのは変移抜刀霞斬りぐらいか。俺はいつになったら白土三平の呪縛から逃れられるのだ。“
 こんなことを書いて飲んでいる夜は、間違いなくスパイ失格である。

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写真は銀座のライオンビアホール。数寄屋橋のサンボアに行こうとしていて日曜日で休みだったので歩いていたら目の前にここがあった。二十年ぶりだった。たっぷり飲んでそろそろ出ようと思った時にライブが始まった。銀座カンカン娘とマッサンの主題歌を歌い始めたのでもう一杯だけ注文した。それにしてものっぺりした時代になった。