俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

大人はつまらない。


 子供の頃は大人になったらなんでも好きなことができると思っていた。近所の駄菓子屋の奥でおばあちゃんが焼いている一枚十五円ほどのお好み焼きに、玉子を三つ入れることもできるし、二枚目を注文することも大人になれば出来ると思っていたし、ラムネやコーラをもう一本飲むことが出来ることに憧れを持っていた。
 中学になって、晩ご飯を食べてテレビをちょっと見てから勉強していると、窓からラーメン屋のラッパいわゆるチャルメラが聞こえてきて、悶えるように食べたいけれどそれはおかあちゃんから許されない。自分の小遣いでも許されないもどかしさ。動く屋台の存在の魅力は、机に向かう者の心を鬼のように乱した。ノートを閉じシャーペンを意味もなくカチャカチャさせて、大人は気が向いたら食べに行っているくせにと地団駄を踏んだ。
 テレビの「ゲバゲバ90分」という番組の制作会社などでアルバイトをしていた同級生の兄貴に「お前そんな好きやったら来てみるか」といわれて、貯めていたお年玉を使ってひとりで新幹線に乗って東京へ行くといっても行かせてもらえなかった。
 その頃、親父は昼の仕事をしたあと祇園木屋町のナイトクラブやビアホールでハワイアンやウェスタンを歌っていたので、通じると思っていた親父に「あのゲバゲバ90分のスタジオなんやで」と必死で言ったが「あかん」の一点張りだった。
 今思えば親父こそが行きたかったのではないかと思う。だって親父も三十代だったはずだ。またはあの世界のことを自分が知っていたので激しく行かさなかったのか。しかしこの時は家出して大阪や神戸をうろついた。東京へ行ってないところが根性なしだ。
 そして、大人になったらなんでもできると思って生きてきた俺はその時に大人のつまらなさを子供ながらに感じた。大人は十五円の薄い薄いお好み焼きに玉子を3つも入れようとしないし、ラーメンはカラダに悪いと言うし、当時のゴキゲンなエッセンスが溢れていた番組を子供の前ではつまらなそうにし見ていた。
 だいたい「 大人」という字がカッコ悪い。「成人」の方が少年にとっては魅力的だった。結局、そんな俺も大人になってから何もできなくなっている。あー、というしかない。