俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

面倒だけど、シアワセ。

    それにしても食べ物屋というか飲食店が増えた。街を歩いても電車を降りても国道に行っても静かな住宅街でも、いたるところに飲食店がある。いつから比べて増えたのか。40年前なのか、この十年で急激に増えたのか。
 どちらにせよ飲食店が増えた分だけ家の食卓が減っているような気がしてとてもせつなくなる。今もそうだが子供の頃は家の食卓こそが家だった。
 また街から店の多様さがなくなり増えるのは飲食店やコンビニばかりというのも胸を締め付ける。
 私が子供の頃に暮らしていた本町界隈の町内には、荒物屋、クリーニング屋、本屋、和菓子屋、豆腐屋、散髪屋、写真館、魚屋、八百屋、タイ焼屋、履物屋、かしわ屋、瓦屋、新聞屋、ミシン屋、時計屋、電気屋、駄菓子屋、自転車屋、うどん屋、銭湯、漬物屋、竹材屋、工具屋、酒屋、お好み焼屋、煙草屋があった。わずか一つの町内にこれだけあった。
 それが現在この町内に残っているのは散髪屋、写真館、新聞屋、自転車屋、竹材屋のわずか5軒!しかない。そのかわりにチェーン店系の24時間営業の食堂1軒とコンビニ1軒が出来ている。
 大手チェーンの店やコンビニは安くて便利だし私も利用するが、降って湧いたようなゴキゲンはそこからは得にくいし、それがないことを前提にした商売なんだと思う。
 けれども専門店は、何かを買うためにその店へ行ったのに帰りには思っていなかったものを買っていたりする。それこそが人のいるところで生きるシアワセなんだと思う。 
 錦市場の川魚屋に鰻を買いに行って泳いでいる岩魚を買って帰ったこともあるし、街の塗料屋にニスだけを買いに行ってその店を出る時にはカシューという塗料の「たいしゃ」という聞いたこともないような色の塗料と上等な刷毛と塗装の知識を持っていた。
 安くてすぐに食べられることだけを求めたり、知っているモノを買うだけでは本当につまらないと思う。人がいる店で食事をすれば良くも悪くもいろいろあるし、その道のプロがいる店に行けば知らなかったモノや知識と出会うことが出来る。
 安くて便利もいいが、「面倒だけどシアワセ」もいいと思う。そうでないと乾いてしまう。さあ、今夜も湯気のある店へ行こう。
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