俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

旬のものは、もう少しゆっくり出そう。

 漬物屋が言うのもどうかとは思うけれど、いつの頃からか旬というか季節を感じさせるものが街や店に出るのがどんどん早くなってきている。
 9月になると松茸が話題になりテレビのCMからは暖炉の前でクリームシチュー的な映像が流れ始める。まだうちの店では半袖を着て青瓜を漬けていたり水茄子を塩もみしているのにテレビでは騒がしい番組がお鍋の季節の到来だと叫んでいる。
 その季節の旬のものがシーズンで初めて出るとき、いわゆる「はしり」のものが出たときはトピックなニュースになることはよくわかります。
「何々の初出荷が始まりました」「何々の初競りが行われました」「今年の何々は色づきがいいようです」そんなニュースや案内を見て「あーもうそんな季節か」と感じながらの一年なのでそれも悪くはありません。
 けれども年々少し早くなり過ぎているような気がする。季節を先取りした方がよく売れるのも現実ですが、それによって本当においしい「旬」の時には食べ飽きそうな感じがするし、その食材そのものが愛おしくなる「なごり」の頃には次の季節の食材に目を奪われている。
 こんな風にも思う。子供の頃に例えるなら「はしり」は走りが速かったり運動神経が良くて人気者、「旬」は正義感が強くて面倒見も頭もいい学級委員長、そして「なごり」はあの時のあいつ、そんな気がするのだ。
 季節を先取りするものや新しい何かばかりを求めていてはいつも追いかける状態になって疲れるような気がするし、モノを追わずに食卓にあるままの季節で酒が飲めれば本望。それがわかっていても「あれはまだか」という気持ちが湧いてくるのが酒飲みだ。
 すぐきがお好きな方はうちの店に来て「今年のすぐきはどうや」とよく聞かれます。そのどうやは「おいしいか」や「いい状態か」ではなく「いつぐらいから出るのか」という問いであり、「早やく食べたいなあ」という素敵なメッセージが含まれているシアワセ度の高い問いなのだ。
 「すぐき」や「このわた」は、街が師走に入って何だか慌ただしくなり佳境を迎えた頃に「おー今年初めてやなあ」と感激しながら飲んでこそシアワセだ。
 季節の食材はそれそのものではなく、その食材の向こうに見える時間や記憶に値打ちがあるのだと思う。あー、大きいすぐきで一杯やりたい。