俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

閉店しても店はシアワセをくれている。


 この春に京都の街の人間にとってはショックなことがあった。親しみやすい中華で愛されてきた河原町三条の「ハマムラ」が閉店したのだ。京都の中華の原点ともいわれた店であることとか河原町のかげりがどうとかではなく、子供の頃からよく通い大人になってからもずーっと月に二度三度は必ずこの店の広東麺を食べに行っていたものとして大変さびしいことだ。
 それは店がなくなったからさびしいのではなく、その店と共に在った自分自身の記憶やシアワセ資産がボロボロとなくなるような気がするからだ。ハマムラはまた他の場所で始められると思うがあの店は一旦消えた。注////ハマムラは、この秋に府庁前に新しくオープンされて喜んでます。
 店がなくなって残念と思うのは我々のワガママであるが、そのワガママの分だけ街と共にありたいと思って必死で街に通っているのだ。
 昨年末には先斗町の小さな鶏料理の専門店「房」が閉店された。木屋町六角の居酒屋「樽」も一年前閉店された。どの店も俺は随分世話になった。なんだか今、昔通った店がいっぱい頭に出てきた。
 裏寺六角通のお好み焼き屋の「菊水軒」のあの小さい鉄板台とおやっさんと名物カラカラ、裏寺蛸薬師の焼肉「陽気」の小さな黒板と継ぎ接ぎのカウンターと油で曇ってたひとみちゃんのメガネ。これまた裏寺の「中ぼて」はホルモン串もテールも手羽先も鬼のようにうまかった。
 夜中になると祗園は下河原の「よあけ」という食堂で出し巻きと大盛りのごはんをほおばった。朝方になる時は卸売市場の「平井食堂」へ一目散に向かった。おかずや小鉢などの作り置き式の棚がある食堂はついつい食い過ぎてしまい後悔することが多いので俺は出来るだけ行かないようにしていたが、ここだけはもうひとりの俺の許しが出ていた。ぎっしりの人をかき分けるようにして棚に並んでいる新鮮でボリュームのある刺身とおかずを取って名物の茶碗蒸しと白ごはん大が必須科目だった。
 どの店も全部、今現在でも、俺のシアワセ度あるいはシアワセ資産を形成してくれている。これについては俺のまわりの多くの先輩方も同意してくれているから間違いはないだろう。あー、というしかない。f:id:vackey:20141029173436j:plain