俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

ずっと入れなかった店。

 京都以外で暮らしたことがなく、子供の頃から繁華街を走りまわり若い頃から街のさまざまな店に行き始め、時代も店も変わっていく中で40年ほどやってきた俺が、二十年以上も気になりながらどうしても暖簾をくぐれなかった店がある。
 二十代や三十前半の頃はどこでも行ってやろうと思っていたので、縁がなくてもその店がどんな店か全く知らなくても扉を開けていけそうなら適当に飲んでいた時もあったし、街に出て誰も全く知らない店に飛び込んで飲むということが仕事な時もあった。もちろん食べログもネットもなかったし情報誌とも縁のない店の扉を勘で開けて飲むというミッションばかりだった。行った店は京阪神だけで五千軒以上になる。
 そんなことをしてきた男なのに地元京都の、しかもホームグランドとでもいうべき裏寺周辺にある居酒屋の扉を開くことが出来なかった。暖簾を長いことくぐれなかった。
 会員制という札があるわけでもなく、一見を拒むような業態でもないけれどその居酒屋の扉を長いこと開けられなかったのは、あまりにも佇まいが美しいので、その中のバランスを壊しそうな気がしたので触れられなかったんだと思う。
 店には行っていい店といけない店があるのだ。雑誌やネットで見てその店のことを知り行っていいことを確認できたとしても、その店の前で躊躇したり、扉を開けた瞬間に「間違いました」と言って店に入らなかったりすることは生き物として当然だと思う。
 例えすべてのものを持っている人であっても行っていい店と行けない店がある。それがあるから街は素敵なのだと思う。行けない店などないと思う人だからそこへ行ってはいけないということが往々にしてあるのだ。まだまだ街は我々を泣かせてくれる。あー、というしかない。
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