俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

チマチマしたことがご馳走の基本。

 少し前に漬物屋の店頭で古漬を何種類か買われたご年配のお客様が、「こないだどこかの新聞で古漬の値段の漬け方が難しいて書いてあったで」と言われた。また常連さんのおばあさんからは、「あんた、古漬は安なかったらあかんて新聞に書いてはったで安して」と、言われた。それは僕が書いたんですわと言えず「がんばりますわ」といいながら胡瓜の古漬を入れたビニール袋をクルクルッと輪ゴムで止めた。
 そして私はこのやりとりをきっかけにしてもっと漬物や古漬のことを書かせてもらおうと思い、8月8日からうちの漬物屋のホームページでほぼ毎日書き始めた。
 タイトルだけを少し並べると、8日「真夏の胡瓜は食卓ですぐに消える」、9日「農家から届く野菜のダンボール箱もかわいいんです」、11日「青瓜の古漬がかわいそうだと思う」、12日「ほんの少し何かがあるだけで、ご馳走になる白ごはん」、13日「ちょっと過酷に使われている、うちの杉樽を今日は修繕しました」、15日「お盆なので、古漬の茄子」、17日「野菜の傷は、おいしい証拠」18日「古漬のカナッペ。羽ばたけ古漬」など、小さな漬物屋の日常から感じたことを画像とともに表現しているのだけのもの。けれどもそこに書くことをチョット探してみるだけで、この国の先人が培ってきたものや暮らしや街の中にあるゴキゲンさがそこらじゅうに散らばっていた。
 随分前に二回りほど年上の酒の飲み方もルックスも格好いい方から、「なんで君は、街とか酒場とかというチマチマしたことばかり書いているんや、君ならもっと書かなあかんことあるやろ」といわれたことがある。そのときはさすがにへこんだが、今はこのチマチマしたことに気づくことがいかにおもしろいことなのかを、後輩に伝えようと思っている。
 些細なことやいつもと違うわずかな変化に気づいてココロがピクピクしたりすることによって、一緒にいる人やその場その瞬間のゴキゲンは大きく変わる。チマチマしたことは言い換えればご馳走の細胞なのだと思う。