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俺は4時15分。

バッキー・イノウエとワイワイナワイモ。

いい店というだけではなかなか行かれない。

 「あんたは京都のいろんな店のことをよー知ってはんにゃろ」とよく言われるが実は最近の店というかここ十年くらいに出来た店のことはほとんど知らない。
 一応、街で仕事をしているので近所の人やお客様とのお付き合いで食事に行くこともあるし仲間と居酒屋に行くこともあるので比較的お店にはよく行く方だと思うが新しい店にはほとんど行く機会がない。
 新しい店にも興味はあるし、顔が利く店しか行かないタイプの男でもない。それよりもあまりこだわることなくどこにでも肩肘張らずに適当に行けるタイプな私だが新しい店になかなかたどり着かないのだ。
 まわりにいる人が私を誘う時はだいたいいつも同じ店だ。
 豆腐屋やお寺の奴と行くのは年中おでんのある川端の居酒屋だし、八百屋の社長とは安くで飲める七条の寿司屋、古い付き合いのカメラマンとは煮込み屋ばかりで、岸和田の編集者とは堂島のバーが多いし、仕事仲間と帰りに行くのは裏寺の食堂だ。誰かと行く時はその人が馴染みの店やその日の条件に合ったところに行くことになるので自分でどこに行くかを決めることはあるようでとても少ない。
 さらに昔からよく行っていた店へ季節に一度くらいは顔を出したくなるのでそんな店が5軒あるだけで年に20回になる。古くから世話になった店に行く回数を減らしてまで新しい店に行くのはどうかと思うし、それ以上に余裕も時間もないというのが実際のところだ。
 私は仕事や大事な会食の時は予約もするがそうでない時はほとんど予約をすることがないので、目指している店に行って満席であったり臨時休業だったりすることも時々ある。そんな時に臨時休業していた店の近所の行ったことのない店の引き戸をガラッと開けて入ったり、見知らぬ店のメニューを見る楽しさや新しい何かと出会えることにワクワクする普通の奴なのだ。くどいようだが新しい店が嫌いなのではなく自然にそこにいくことになるかどうかが大事だと思っているだけなのだ。
 長い間、雑誌や新聞に街やお店のことなどをたくさん書かせてもらってきたのでいろいろなお店には行った。どの時代にも街にはいい店がいっぱいあるしあった。それを知ったとしても全部行こうとは思わない。街や時代やそこで暮らす我々には流れがあるのでそれにおまかせすればいいと私は思っている。f:id:vackey:20150728155701j:image

始まった瞬間しか残らない。 午後のギムレット。

始まった瞬間しか残らない。
午後のギムレット

 30代の半ばになってからはいつもギムレットを飲んでいた。でもこうしてチョット振り返ると条件が揃わないと飲んでいなかったように思う。夏でも冬でも飲んでいたが遅い時間には飲まなかった。ギムレットを頼めるのは昼下がりか宵の口だけだ。遅がけの酒場ではギムレットを注文できないでいる。ギムレットはファーストショットなのだ。
 二十年ほど前だったか俺のコラムを担当してくれていた女性の編集者が、年に一度くらいは打ち合せしましょうというので、5時に中之島のリーチバーで待ち合わせをしたことがある。バーで打ち合せは出来ないが顔を合わせることで打ち合せの8割は完結するんちゃうかなあと言って電話を切ったような記憶がある。当時はほんとにそう思っていた。
 4時過ぎにリーガロイヤルホテルに着く。ホテルの玄関先では石の上の靴音。中に入ると絨毯で靴音が消え、しばらく歩くと大理石のタイルで高い音の靴音になる。そして結界を超えてリーチバーに入ると木煉の床を靴で叩くかのような靴音になる。木と革が奏でる打楽器のようないい音がする。このバーの凄さのひとつだ。
 誰もいないカウンター。席に着く。注文するまで一拍置くのは気持ちを整理するためだ。空腹だしノドが乾いているし待ち合わせの時間まで30分以上ある。ギムレットを飲むにはお誂えの条件が揃っている。バーテンダーと視線が合ったその瞬間にギムレットをミストでお願いする。
 中之島のリーチバーでこの時間にギムレット、それだけでこれからどうなるかだいたいわかる気がするのだが想定通りにコトは運ばないし運んではつまらない。
 ギムレットが目の前に来る。ミスト状の氷がキラキラしている。飲む前にゴクリとなりその瞬間に飲む。きついがうまい。最初の一杯はキックがたまらない。空腹の胃のヒダが溶けているのがわかるがグッといく。グラスにはキラキラした氷だけが残る。2杯目は氷が残ったグラスを使ってもらう。やわらかくなるからだ。
 3杯目を頼もうとした瞬間に編集者が入ってくるのが見えた。いつもより女らしい気がするがそこは無視しよう。「早よ着いたし先に飲んでてごめんな」といいながら、わざと何も聞かず3杯目のギムレットをおかわりすると彼女は私も同じものをと言った。
 今オーダーしたものが出てくるまでに打ち合わせは完了させなければならない。まるでスパイ度を試されているようだ。彼女の目はこれから始まる何かを察知して輝いている。俺はギムレットクロスを続ける。
 そしていつのまにかギムレットは水のようになる。水になる酒ほどうまいものはない。遠いとこまで来てしもた。もう俺は家へ帰りたいが自分の口からさあ次へ行こうと言っている。そして腹がペコペコである。限界がきているが涼しげにしていなければならない。きつい旅だ。
 宵の口からリーチバーで始まった夜は、始まった瞬間しか残らない夜になる。必ずそうなる。そして間違いなくその日に帰れない。
 ジンとライムをシェイクするとギムレットという名になるのであれば、ダークラムを水で割って間延びさせた酒に俺はプールサイドという名を付けた。そのわけを書く前にスペースがなくなった。カクテルはいつも誰かを泣かせる。f:id:vackey:20150614132635j:image

親父がマイボーイというCDを出した時のライナーノーツ。

私もマイボーイのひとりである。

 私が初めてこの歌を聴いたのは14歳の時だった。たいへんよくませていた私は小学生の頃からシャボン玉ホリデー夜のヒットスタジオの世界に憧れ、映画も大人の雑誌も漫画もプロ野球もプロレスもボクシングもひととおりを見聞きし近所の同級生達に大人の世界のそれをよく語っていた。そして中学生になり、ビートルズの解散から怒濤のような欧米のポップスやロックをラジオから聞きかぶれていたその頃だ。
 親父がレコーディングに行くからお前もついてこいといわれて大阪の放送局について行った時に初めてこの歌を聴いた。たぶん聴く態度はなってなかったと思う。スタジオというだけで目が飛び出るほど興奮していたしそんな世界を見たくて感じたくて仕方がなかったけれど「なんだよ、知ってるよ俺だって」的な態度をとっていたと思う。
 その頃、ハンサムで運動神経も抜群でお洒落で絵も歌も上手い親父に対して、反抗期というよりコンプレックスを感じていた洋楽かぶれの14歳が素直でない態度をしながら親父のレコーディング風景をじっと見て聴いていた。
 その時の「愛を忘れないで 強く生きるのを ママは星から見つめてるだろう」というフレーズを歌う親父の姿が視線が声の質感が今も鮮明に残っている。中学生ながら「愛を忘れないで強く生きる」というフレーズが当時必要だった。
 思えば小学生であっても中学生であってもハタチの頃であっても大人になっても中年になっても「愛を忘れないで強く生きる」というのが命題であり、いつもそれに対しての支えを求めているのだと思う。その支えこそが「ママは星から見つめてるだろう」であり、その美しく力強いフレーズを身体に染み込ませるメロディーなんだと思う。
14歳にして出会えたこの歌はそれから三十年近くずっと心のどこかで流れている、そんな気がする。そして幸運にもその歌は親父によって歌われている。
 確かに私もマイボーイのひとりである。f:id:vackey:20150603210854j:image

腹が出るのも行きがかりじょう。

腹が出るのも行きがかりじょう。f:id:vackey:20150602225401j:image

 おっさんは腹が出てなあかんということに最近気がついた。気がついたというか腹が出ていた方がいいという仮説を立てて街をウロウロしていたらその仮説が正しかったと思うようになった。
 だいたい中年以上になって腹が出ることのなにがいけないのか。インターネットや家庭の医学や行きつけのお医者さんに行ってそれを調べたり聞いたりすることは簡単だが、俺の場合は地団駄というステップを踏みながら街へ出て考える習性が身についているので今回もそのようにした。
 街をウロウロして見ていると腹が出ている人の足は細く見える。胸板も薄く見える。腹がたっぷり出ているからそう見えて当然なのだろう。下半身がしっかりしていて腹もたっぷりという人もいるにはいるがそれよりも下半身がやや貧弱の人が多い。俺の場合もそうだ。これは腹が重い分だけ腰や膝に負担がかかりよくないとは思う。だからといって腹をへっこます努力をするのはおかしいと思う。それよりも重い腹が乗っても大丈夫なように下半身や腰廻りを鍛えたりする方がいいのではないか。
 なぜならメシと酒がうまいからである。いきなりここで結論が出た。
 朝は朝飯がうまい。炊きたてのごはん、ひやごはん、前の晩のすき焼きの残りやおかずの残り。玉子かけごはんに干物に漬物。パンならたっぷりバターとジャムを塗って牛乳やトマトジュース。朝に近所のパン屋さんへ買いに行くのも楽しいルーティーンだ。
 そしてお昼になったらこれまた腹が減りシアワセ現るキンコンカンだ。今日は昼飯どこにいこかいなと悩むシアワセ。あそこのサービスランチかうどん屋かチョット自転車に乗ってラーメン屋か中華でもいこかいな。久しぶりに弁当持ってきたし社食行って麺類だけ注文して弁当&うどんもええな。現場仕事ならドカベンまたは大型ランチジャーの蓋を開ける時と食べてからトラックや材木の上で昼寝するシアワセよ。そういえば大橋節夫や石原裕次郎が「幸せはここに」を歌っていたな。俺は子供の頃から駄菓子屋でお好み焼き(お好み焼きというのは駄菓子屋にあるものだった)が焼けるのを待ちながらこの歌をよく歌っていた。実に嫌な子供である。
 そして夕方になると今度はノドが乾いてくる。水場に行きたいという、街でしか生きられない生き物の習性というか欲望が出てくる。その水場が自分の家の場合でも街場の場合でもこれまた晩ごはんというシアワセが待っている。俺の場合、家で中華や焼き飯を作るとき眠眠(王辺)から進呈された厨房用の紙の帽子をかぶって中華鍋を振っている。パスタを作る時はイタリアンのコックコートを着る、家族が喜ぶのである。家で食べるインスタントラーメンも格別だし、何でも焼けば酒やビールがいくらでも飲める。
 街に出るとなるとゴキゲンが山のように鬼のように待っていてくれるのだ。しかも宵の口から真夜中の塩と油地獄までゴキゲンが数珠つなぎである。
 朝昼晩、塩と油と炭水化物が待っている。そこにソースやポン酢が控えて、そして酒やワインやビールが正面玄関にいるのだから、これはもう「あかん、あかんて。」なのである。腹が出るぐらいなんだ。それが自然なんだ。必要以上に食っているのかもしれないがそれと腹とは別の話なのである。水場に行けば必ずそうなる。それが正しいと思う。

店選びは勝負である。

   漬物の販売で東京や大阪や地方の都市に行くことがある。商談だけの場合もあれば百貨店の催事場で販売させてもらうこともある。その催事の場合、その日の仕事が終わってからどうするかが私の場合は懸案事項のひとつ。
   催事の期間はほとんどが1週間で、業者は開催前日にそこへ行って売場作りをすることが多い。いわゆる設営という仕事。催事が始まると出店者同士や主催者と終わってから食事をしたりすることもあるが設営の夜は時間がまちまちなのでたいてい一人になる。疲れ果てて弁当を買って宿で食べることもあるが、この街のこの時間にどこに行けばいいのかを考えることに若い頃から打ち込んできた私にとってそれはその日の勝負どころと言っても過言ではない。
   十年ほど前からネットでの店情報サイトや書き込みサイトがあるが、その場その時の店選びを武道というか技芸のようにとらえてきた私はスマホタブロイドでサイトを見て店選びをすることが出来ないでいる。けったいな中年だ。
   先日、催事で宇都宮に行っていて例によって設営のあとひとりで街に出た。早い時間だったので店の選択肢が多いのでうれしくなった。
   駅前を歩くとどこの都市にも必ずあるような多くの飲食店が立地のいいビルに入っている。そんな見慣れた景色を通り過ぎてぶらぶら歩く。目標はないが目的はある。偶然に店と出会いたいのだ。それがいい店ならありがたいが、そうでなくてもかまわない。街を歩いて「ここに入ろう」と思う何かがあればそれだけでいい。誰かと一緒なら適当なところにシュッと入るが、ひとりの時は結構ピクピクくるまで歩く。
   宇都宮での初日に入った店で嬉しくて私はツイッターにこんな投稿をしている。
“宇都宮に仕事で来て、仕事が終わってひとりでぶらっと居酒屋に入ったら抜群の店だった。名倉山という会津の酒の熱燗をもらう。鯵の刺身と”
“携帯やらタブレットで何も調べなかったことに対するご褒美のような、俺がこの街に住んでいれば通っていたかのような居酒屋だ”
“いかってる小ぶりのアジ1匹分の刺身、たっぷりのおろしたての生姜。山盛りのネギ。酒は三百円。テレビがありカウンターの中はどうやらファミリーのようだ”
“もしネットやらで店を調べていたら俺はここには来れなかった。次に俺が来るときも決して予約はしないだろう。俺はたぶんこの店を死ぬまで忘れないと思う。宇都宮ごと好きになったほどだ。けれどもこの店を調べて来ていたら、そうはならなかったとおもう”

ヴィンテージ鍋でやる、貝ジャカ。

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ずいぶん長いあいだ鍋と道中してきた。子供の頃に好きだった鍋は湯豆腐だった。うちの湯豆腐は鍋の中に茶碗蒸しに使うお椀が置かれていてその中にダシ醤油が入っていた。その温まったダシ醤油と鰹節とネギをたくさんかけて豆腐をエンドレス食べた。すき焼き鍋で牛肉の変わりにおあげを入れたすき焼きも好きだった。京都はなんでもおあげを使う。
 青年になって酒を飲むようになってからは職人さん達と一緒に食べる本家での水炊きがたまらなかった。骨付きのブツ切りを大きな土鍋に炊く前からどっさり入れる本気の水炊きで、職人さん達と伏見の富翁の二級酒をコップでガンガン飲みながら骨まで噛みくだくような勢いでかしわを食べた。そしていいダシが出たスープはコップ酒によく合った。
 働き始めてからは街でも鍋をよく食べた。フグ屋のてっちりやすき焼き屋のすき焼きやしゃぶしゃぶはハードルが高く、俺がよく行ったのはちゃんことひとりしゃぶしゃぶだった。
 ちゃんこを食べるのはいつも真夜中だった。四人ぐらいで行ってちゃんこを一人前だけ注文し、酒とダシを飲み続けていた。そのちゃんこ屋さんはそれを許してくれていた。ひとりしゃぶしゃぶは飲んだ翌日の昼飯に最高だった。その業態が食堂街に出来始めた頃で本当によくお世話になった。
 写真は「貝ジャカ」という鍋。よく洗った貝を鍋にたっぷり入れて酒2と水1くらいで炊く。アルマイトのヴィンテージ鍋でやると貝がジャカジャカいうので「貝ジャカ」という名が付いた。蛤やアサリが開いてきたら三つ葉を入れてダシを飲みながらジャカジャカ食う。味付は塩のみ。うますぎる。いい貝を使えばさらにうまくなるが高くつくからそこまで求めなくていいと思う。狩人鍋という名前の鍋もある。あー。

さあ、船底を削って帆をあげよう。

どこかで誰かがーー、
上條恒彦の「誰かが風の中で」という歌がかかってる。
なんなんだ、歌て。
今度は野口五郎か。
私鉄電車か。せつないな。
歌詞メロディー歌唱、最高のバランスだな。最高だ。
次はチューリップの心の旅か。年代絞りの選曲だな。
1970年代前半か。
おっ、涙をふいて、か。
涙をふいて抱きしめあえたら、か。

次から次から聞いたことがなかった歌や知らなかった音楽に
引きこまれて引きこまれて仕方なかった俺が、
聞いたことのある歌やリズムやメロディーを聞きたいと思っている。
なんなんだろう。

先日やり手の友達が、
「年々同じもんを着たりずっと変わらない店に行って同じようなことばかり言うのは、楽だからですよ、抜けださないとあかんと思う。酒は気持いいからね」
と笑いながらマジな目で言ってくれた。 
そうだと思う。そのとおりだ。
「やり過ぎるぐらいやって、ちょうどいいのだ」と、世阿弥が言っていたそうだが、
それを普段着にする覚悟を持とう。

ホットウイスキーを飲んでいる。
グラスの中のちょうじ(グローブ)は人生ゲームの人のピンに似ている。
さあ、新しい音楽を聞きに行こう。ゴー。

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